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「浮世絵」は江戸庶民文化の華
(下)

 「浮世絵」をめぐるいくつかの謎。実はそれらを解くことによって、江戸時代の人々にとって「浮世絵」がどのような存在だったのかが、はっきり見えて来る。

 まず驚くのは、現存している「浮世絵」の四分の三が日本国内ではなく海外にあるということだ。もちろんその芸術性を認められて、海外の収集家に購入された「浮世絵」も数多いと聞く。しかし現存数の四分の三が海外にあるというのは尋常なことではない。つまりそこには、ある驚くべき理由が有ったのである。

 次に江戸時代の人々は日頃、買い求めた「浮世絵」をいったいどのように鑑賞していたのかと言う謎だ。これについては、その場面が描かれた「絵」が残っていたので証明された。
まず一つには、襖(ふすま)や障子に糊で直接貼る方法だ。 額に入れるのとは違い、一旦貼ったが最後、簡単に剥がす事など出来ないだろう。  次に、部屋に渡した紐に洗濯ばさみで止める方法。ただ、薄い和紙にとっては、破れてしまう危険がある。  最後に、数多く残された“うちわ型”の「浮世絵」はその形に切り抜いて、実際に“うちわ”に貼って使ったようなのだ。これらの“鑑賞法”には、ある共通点が存在するのだが、さてお分かり頂けるだろうか。

 そしてもう一つの謎、それは「浮世絵」の“構図”にある。「葛飾北斎」の「富嶽三十六景」や「歌川広重」の「東海道五十三次」は“旅のガイド”、「喜多川歌麿」の“美人画”は“アイドルのグラビア”、「東洲斎写楽」の「役者の大首絵」は人気役者の“ブロマイド”、 そして「歌川国芳」や「歌川豊国」がよく描いた“寿司”、“天ぷら”、“蕎麦”が登場する「浮世絵」は、屋台で食べる“ファストフード”、つまり大流行の“グルメ情報”を紹介するもの、 そして同じく「歌川国芳」が描いた“戯画”は、今日の“コミック”や“アニメ”に相当する。このように「浮世絵」の“構図”が様々なジャンルで描かれているのは、一体何故か。

 上記三つの謎を解くことによって明確に見えて来るのは、ずばり、江戸時代の人々にとって「浮世絵」は“芸術作品”などではなく、“タウン情報誌”だったという事実だ。どうやら貴重な“芸術作品”を大切に保管するという意識は江戸庶民には全く無く、“タウン情報誌”であるが故にそれは現代の古新聞や古雑誌と同じ扱いを受けた。つまり日本から西欧に向けて陶磁器を輸出する際に、緩衝材として「浮世絵」が多く使われたのだ。フランス人画家「ブラックモン」は、日本から送られてきた陶磁器の包み紙を見て、初めて「浮世絵」というものに触れ、その“芸術性”の高さに驚嘆し、事ある毎に画家仲間に触れ回り、とうとうそれがヨーロッパにおける“ジャポニズム”という芸術の潮流になったのだった。

 一方、日本国内では、「喜多川歌麿」を世に売り出した版元「蔦屋重三郎」が、幕府の禁令に触れて「歌麿」と共に“手鎖の刑”を受けたり、万難を排して売り出した「東洲斎写楽」の「大首絵」が売れずに大損をした辺りから版元業も厳しい経営状態に陥ったらしい。それでも江戸庶民の間で「浮世絵」人気は根強く、慣れ親しんだ庶民文化のレベルから、“芸術作品”として、時間、匂い、季節、温度などを感じ取る“新しい鑑賞法”が幕末に向けて芽生えて行ったと伝わる。

文 国影 譲

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