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“京の夏、”祇園祭”に浸る!”

  まさに“夏の京都”を代表する“熱い行事”が“祇園祭”だ。春の“葵祭”、秋の“時代祭”と並ぶ“京都三大祭り”の一つで、毎年7月まるまる1ヵ月を通して行われる“大祭”である。今回は、そんな“祇園祭”について書いてみたい。 “琵琶法師”たちが語ることで有名な「平家物語」の冒頭部分「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の聲(こえ)、諸行無常の響きあり」に記された「祇園精舎」とは古代インドに実在し、「お釈迦様」も説法をされたという寺の名前で、現在の京都の地名である「祇園」はここから発祥している。神道と仏教の信仰が合体していた時代(“神仏習合”)には、「八坂神社」は「祇園社(感神院)」と言って「比叡山延暦寺」の末寺であり洛中支配の中心だった。その御祭神は、もともと「祇園精舎」の御祭神でもあったと伝わる「牛頭天皇(ごずてんのう)」である。

  歴史書によれば、西暦864年(貞観6年)に“富士山大噴火”が起こり、又、 西暦869年(貞観11年)には陸奥の国で“貞観大地震”が起きたとある。更にそれまでうち続いていた“疫病の流行”が民衆の社会不安に拍車を掛け、事態は一気に深刻化して行った。そこでこれらの“天災”や“疫病”が、現世に恨みを残したまま亡くなった人々の“怨霊”によって起こると考えた当時の人々はこれを鎮守する為に「牛頭天皇」を祀り、“御霊会(ごりょうえ)”という祭りを行った。やがてこれが“祇園御霊会”となり、明治維新後の“神仏分離令”を経て「祇園社」が「八坂神社」になると同時に“祇園祭”と呼ばれるようになったのだ。

  現在の“祇園祭”は、「八坂神社」側が行う「神輿渡御(みこしとぎょ)」と、「各山鉾町(山鉾を保存管理している各町内会)」側が行う「宵山(よいやま)」と「山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)」がその中心だ。「渡御」とは“練り歩く”という意味で、「八坂神社」に三基ある“大神輿”に召した神々が1000人を超える男達に担がれ、各“氏子町”を荒々しく“暴れながら”練り歩く。そして、これに先立って、その通り道を清めるという意味で行われるのが「山鉾巡行」であり、更にその「山鉾巡行」の前に、「各山鉾町」が現在33基有る「山」と「鉾」をそれぞれ毎年組み立て直し、一般観光客にまでお披露目する“前夜祭”とも言うべき行事が「宵山」で、その人出は毎年総計40万人にも及ぶと言われている。

  「山鉾巡行」は諸般の事情で長らく“一回”に集約されていたが2014年に漸く本来の「前祭(さきのまつり)」と「後祭(あとのまつり)」の“二回”に戻った。必ず「前祭山鉾巡行」の先頭に立つ「長刀鉾(なぎなたぼこ)」には、“生稚児(なまちご)”という“精進潔斎”をした幼い男の子が乗り、“人間界”と“神域”を分かつ“結界(注連縄、しめなわ)”を日本刀で叩き切り、「山鉾」を“神域”に乗り入れて、「神輿」の行く手を清めるのである。この“生稚児”は6月初旬に決定し様々な行事や神事を経て“大役”を果たす為、2000万円以上の自己負担が必要だという。“銭形平次”で有名だった「大川橋蔵」さんの御子息や和菓子の名店「俵屋吉富」のご主人のお孫さんなどが務められたのは、充分理解出来る。 そんな“生稚児”さんが毎年必ず現れるのも、京都の奥深さと言えるのだろう。

文 国影 譲

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