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「日本語」の美しさを探る!

 

  「日本語」の美しさは、おそらく“言葉の多様性”に一番の理由があると言えるのではないだろうか。例えば、英語で言う“一人称”はあくまで“ I ”でしかないが、「日本語」には“一人称”だけでも“私”、“小生”、“吾輩”、“俺”、“僕”、“自分”、など数多くの言葉がある。この他にも、方言としての“あたい”、“おいどん”、“わちき”などがあり、特殊な言い方として“拙者”や“小職”などというものまである。このように「日本語」は“一つの事柄”を多面的に、数多くの違った言葉で表現出来るからこそ、“奥行き”のある、“懐の深い”味わいを相手に伝えることが出来るのだと思う。

  縁側で居眠りをしているような“猫”がもし口をきくという設定だとしても、「私は猫です。」では、作者の心象風景は伝わらず、「ああ、そうですか!」で終わってしまうかもしれない。でもそこで「吾輩は猫である!」と言うからこそ、猫の“可愛らしさ”と“吾輩”という肩に力の入った言葉のギャップが、読み手に大きな興味を抱かせ、この作品の“奥行き”を感じさせるのだろう。 日本文学を翻訳する外国人を悩ませるのも、実はここに大きな原因があるという。なるほど「I am a cat.」という翻訳で、「吾輩は猫である。」のニュアンスが本当に相手に正確に伝わるかは疑問だ。大作家「夏目漱石」のユーモアも、日本語の美しさやその“多様性”に依るところが大きいと言えるのである。

  「日本語」の“形容”の多彩さも、特筆すべき点が多い。例えば、“色の名前”ひとつ取ってみても、日本には驚くほど多くの種類がある。それも自然との触れ合いの中で生まれたものが多く、その“名前”を聞いただけで多くの人々が“同じ色”を想像することが出来る。例えば「髪は烏(からす)の濡れ羽色(ぬればいろ)」とは、女性の黒髪が艶やかに輝き、その漆黒の表面に虹色が浮かび上がるような様子を表現しているが、大多数の日本人がその“色”を言葉で聞くだけで同じ“色彩”を想像することが出来るだろう。他にも、鮮やかな黄色いその花の色味から出来た「山吹色」や、夕焼けに映える雲の暗赤色を現した「茜(あかね)色」、また銅が酸化することによって生成される青緑色の錆から出来た「緑青(ろくしょう)」等々、身近な自然に対する日本人の鋭敏な感受性から生まれた“色の名前”は、極めて美しいものが多いのだ。

  更に、外国人から見た「日本語」の美しさは、相手との距離感や関係性によってその表現が変化することだと言う。相手への尊敬の念が現れる「敬語」や「丁寧語」、また、自分が相手より一段下がることによって相手への気遣いを現す「謙譲語」、そして相手への親愛の情を現す「タメ口」など、外国人にとっては、なかなか一朝一夕には、理解することも表現することも困難らしい。 我々日本人にとっては、極めて日常的に使われる「お疲れ様です!」や「宜しくお願いします!」或は「お世話になります!」などもその例で、まず外国人に理解出来るように翻訳するのは、不可能に近いと言われてしまうのである。

文 国影 譲

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