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高貴な色、「紫」に寄せて!

 アメリカのPANTONE社が毎年12月になると、翌年の“テーマカラー”を発表するのをご存じの方も多いかもしれない。実はPANTONEとは世界共通の“色見本帳”の事であり、それぞれの色に固有の番号が振られているため、番号さえ指定すれば世界中どこでも同じ色を認識出来るのだ。そんなPANTONE社が発表した2022年の“テーマカラー”は、ずばり「ベリーペリ、青み紫」である。この“テーマカラー”はファッションから身の回りの品々まで、一年間にわたり、全てのメーカーが商品を作るときに意識し、商品に反映される色となる訳だ。
 「紫」は、“情熱と興奮”の「赤」と“沈着で冷静”の「青」が混ざり合って出来ている“色”であるため、不安定だとか妖艶であると捉えられることもあるが、だからこそ魅力的で、古代から人々に愛されてきた。ただ、他の色と比べると非常に染色が難しいため、高貴で許された者しか「紫」を身に着ける事が出来ない時代も長かったようだ。「紫」は、紀元前1000〜1600年のフェニキアで、Pirpira(パープルの語源らしい!)という貝の腺から取り出した染料で染め上げる技法が確立されたと伝わる。「ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)」は「紫」のマントをまとい、クレオパトラは「紫」の帆に金銀の櫂を持つ帆船を海に浮かべた。これが正に「皇帝紫(ロイヤル・パープル)」という貴重な色が持てはやされた時代だった。ビザンチン帝国の歴代皇帝達は、この得難い色「皇帝紫」を愛するあまり、自分達以外には教皇や枢機卿などの特権階級にしかこれを身に着ける事を許さなかった。ビザンチン帝国のモザイク画を見ると、皇帝やその妃、またイエス・キリストは当然の事のように、この「紫」の衣を身に着けている。ところがこの「皇帝紫」を染めるための染料1グラムを採取するのに、大きい貝なら1000個、小さければ2000個が必要だったため乱獲が進み15世紀にはこの貝が絶滅してしまい、“貝紫(かいむらさき)染め”は廃れたのだった。
 日本の隣国、中国でも「紫」は特別な色と認識されていた。なぜなら「紫」は中国における天上の“最高神”である「天帝」が座す場所の色と考えられていたからだ。今でも首都北京に残る「紫禁城(しきんじょう)」とは、人間である「皇帝」の居場所でありながら「天帝」が座すところでもあるという意味でその名が付いた。但し「皇帝」しか使えない色は「黄」や「朱赤」であり、「紫禁城」内の装飾には「紫」は一切使われていない。「天帝」の宮殿である「紫宮」と庶民の立ち入りを禁じた「禁地」を重ねた「紫宮禁地」が「紫禁城」と変化したのだ。
 我が日本でも中国の影響を受け、古代から「紫」を“瑞祥(めでたい事が起きる前兆)”の色として珍重したらしい。これを受けて、西暦604年に「聖徳太子」が“冠位十二階”を制定した折にも、最も高い位“大徳”の冠には「濃紫」を、次の位“小徳”の冠には「薄紫」を合わせ、「紫」こそが、最上位の色だという意識を人々に植え付けていったようだ。平安時代にも、「紫式部」や「清少納言」などの女流作家達が、こぞって「紫」を賛美する文章を書いており、その美しさは、御所や貴族の間でも「紫」に対する深い愛情となって長く続いたのだった。

文 国影 譲

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