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「金」、その輝きに迫る!

 “元素記号”Au、“原子番号”79、密度19.32g/cm3、融点1064.43度、展性・延性に優れ、金属中で最も薄く延ばすことが出来る。1gの金は数平方メートルまで広げられるし、長さなら3000mまで延ばすことが出来る。また、金属の状態であれば、極めて安定性が高くて経年劣化せず、その希少性のゆえに広く珍重・重宝される。これが「金」という貴金属のプロファイルである。

 「金」の希少性はその採掘量を見れば一目瞭然だ。何しろ人類がこれまで採掘してきた「金」の総量が約18万トンと言われており、これは一辺20mの立方体に全てが収まる量だ。別の例えで言えば、
たったオリンピックの競技用プール4杯分でしかない。又、これから採掘出来る残量もこのプール1杯分と言われる。

 人類と「金」の出会いは古く、諸説あるが、紀元前6000年頃には、既にその価値が認識されていたらしい。なぜ他の金属と比べて、古くから知られていたかというと、四大文明発生の頃でも“精錬”の必要が無い“砂金”という形で手に入ったからだろうと推察されている。ただその産出量が極めて限られていたので、生活雑器などには使われず、主に装飾品や貨幣などの主材料として用いられた。

 「金」を用いて作られた世界で最も有名な装飾品と言えば、1925年に「ハワード・カーター」に
よってエジプトの王家の谷にある墳墓で発見された「ツタンカーメン」のマスクだろう。製作されたのは紀元前1320年頃だと言われている。その長さは54p、幅は39.3p、奥行きが49p、重さは
10.23sであり、顔と首の部分は18.4Kの「金」が、マスクの他の部分は22.5Kの「金」が使われている。エジプトという一国家の“国宝”というより“世界の宝”と言うべき逸品 だが、売買ではなく美術展など貸し出しの時の評価基準額は300兆円との事だ。

 次に「金」を用いた貨幣についてだが、「金」80%、「銀」20%の合金を“エレクトラム”と言い、紀元前670年頃、リディアの王「アリュアッテス2世」によってこの合金を用いて、世界初の貨幣“エレクトロン貨”が鋳造された。以後、世界中で「金」の希少性を裏付けとして、多くの“金貨”が作られる事となった。

 日本では、奈良時代まで「金」の国内産出は無かった。そこで、国内で必要な「金」は、朝鮮半島の“新羅”や“高句麗”からの輸入に頼っていたと言われる。ようやく西暦749年に“百済”の王であった「敬福」が、日本の奥州で“砂金”を発見し、日本は「金」の一大産出国となった。8世紀も後半になると、日本の「金」が“渤海”や“新羅”に輸出され、“遣唐使”の滞在費用なども、“砂金”で支払われたという記録が残っている。奥州で産出された「金」を使って作られた平泉の“中尊寺金色堂”は、「マルコポーロ」の著作である「東方見聞録」で紹介された“黄金の国ジパング”のモデルになったと伝わる。現在でも鹿児島県にある“菱刈鉱山”は、1tの鉱石当り40gの「金」が取れる超優良な金鉱だし、伊豆諸島青ヶ島沖の海底熱水鉱床では、鉱石1t当り、何と275gの「金」が取れるらしい。そして何より日本は、通信機器や電子機器の廃材に含まれる「金」の総量が6800tにも及ぶ「都市鉱山」を持つ“黄金の国ジパング”なのである。

文 国影 譲

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