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なぜ今「手拭いブーム」なのか?!

  「手拭い」の歴史は既に“奈良時代”には始まっていたと伝わるが、その材料となる綿花が日本ではなかなか栽培出来ず、中国(明の時代)や朝鮮からの輸入品だった為、高級品として一般庶民には手の届かぬ物だったらしい。“戦国時代”の後期になってようやく日本でも綿花の栽培が本格的に始まり、日本全国で綿布の使用が一般的になると「手拭い」も徐々に庶民生活に登場するようになった。

  最近の「手拭いブーム」の担い手である、京都「永楽屋」14代目「細辻伊兵衛」氏によれば、「細辻」という姓は創業以来「織田信長公」の御用商人として活躍した際に「永楽屋」という屋号と共に「信長公」より拝領したものだという。元々、日本最古の“綿布商人”として商いを始めた「永楽屋」が“江戸時代”には「風呂敷」や「手拭い」を専門に扱うようになったのは、綿布が比較的安価に手に入る時代になったことと、庶民生活のレベルが上って、清潔で快適な暮らしを求める意識が高まったことが影響しているのだろう。その普及の様子は“江戸時代”に流行った「浮世絵」の中にも伺われる。“美人画”にも“役者絵”にも、首に「手拭い」を巻いたり、頭に「手拭い」を乗せたりと様々な場面で「手拭い」が小道具として使われている。最初はその優れた“吸水性”や“速乾性”から、手や顔を洗った後に拭くためのものだった「手拭い」が、やがて怪我をした時の包帯や、下駄や草履の鼻緒が切れた時の代用、或は物を包む「風呂敷」の代わりに、更にちょっと顔を隠したい時の“頬っかむり”など、驚くほど多様な利便性から、江戸っ子の生活に欠かせない物として爆発的に普及した様子が見て取れる。

  「手拭い」の大きな特徴である“切りっ放し”(両端を縫っていない)は当初、一反物の綿布から入用な分だけ切り取って売っていた事にも由来するが、何より 両端に水分が溜まらず、常に清潔さを保てることが大きい。もちろん両端を縫うのも自由だが、そのまま使っても約1pぐらいで“ほつれ”はぴたりと止まる。

  「手拭い」の生地は、大きく分けて2種類ある。“総理・文生地”は20番手の太めの糸で織られており、目は粗いが吸水性に優れ、ふきんや汗拭きに持って来いだ。岡・特岡生地“は30番手という細めの糸で織られており、目が細かくて肌触りが柔らかく、繊細なデザインも美しく表現出来る。そして、「手拭い」の染め方にも3種類ある。「手捺染(てなっせん)」は、伝統的な染め方の一つで、職人の手作業で行われる。その大きな特徴は、表のみを染めるので「手拭い」に 裏表があること。次に「注染(ちゅうせん)」は、職人が手作業で染めるのは同じだが、布の芯まで染めるため裏表がないのが特徴で、色落ちも少なく経年変化が楽しめる。最後の「顔料プリント」は、本当は染めているのではなく、布の上に顔料を乗せているので、使っているうちに顔料がはげ落ちる可能性がある。

  今回このコラムを書くに当たって、東京御徒町にある「染めこうば にじゆら」さんで実際に「注染」による「手拭い」の“染め”を体験させて頂いた。担当の「田中さん」も「社長」も、どれほど「手拭い」を愛しておられるのかが伝わる方々だった。只、染めの職人さんがもう100人もおられないとか。心配である。

文 国影 譲

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