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名人「三遊亭圓朝」の世界へ!

  コラムニストの必須条件は、「やじ馬根性」が旺盛であること。故に、表面的に目に映る事よりも、“事の真相”とか“裏話”にとても興味が有る。「百人一首」は「小倉百人一首」とも呼ばれ、日本で最も有名な和歌集(秀歌撰、評価が高く良い和歌を、年代の順に選定した書)だと専らの評判だが、いったいどのような経緯でそれは誕生したのか。また、鎌倉時代から今日まで、なぜこれほどまでに人々に愛され、親しまれているのか。今回は、いつものような正面攻撃ではなく、選者の「藤原定家」自身を含めて、少し斜めから「百人一首」を見て行きたい。

  「百人一首」に関しては、どうやら私は大きな勘違いをしていたようなのだ。と言うのも、鎌倉時代の歌人である「藤原定家」が、奈良時代から鎌倉時代までの550年間に作られた“勅撰和歌集(天皇や上皇の命により編纂された和歌集の事)”から百人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選定したという「百人一首」がこれほどまでに若い人達に受けているなどとは、思ってもみなかったのである。 実際には、2011年に漫画家の「末次由紀」さんが、“競技かるた”の世界で繰り広げられる“青春群像”を描いた「ちはやふる」で“講談社漫画賞少女部門”を受賞すると、更に映画化された事とも相まって若い世代に大評判となった。その発行部数はこれまでに総計2200万部を超えたという。また最近は小学校3〜4年生の教科書にも「百人一首」の中の歌が掲載されており、子供達の「百人一首」への反応も「声に出して読むと気持ちが良い!」、「意味はよく分らないがとても美しい感じがする!」など、誠に的を射たものだ。大人のように理屈から入らず、瑞々しい感性を持った子供達が、和歌の神髄をずばりと捕らえている事が凄い。 「百人一首」研究の第一人者である明治大学の「斎藤孝」教授は、日本語は情緒が大切で、「百人一首」を覚える事によって日本語力の基礎が確実に身に着くと共に、“美しいもの”や“美しい感情”とはこれなのだ!という具体的な感覚を確実に把握することで、他のものを理解する為の“理解力”もぐっと上がると指摘されている。正に“美しい日本語”をイメージ出来ることが成果なのだろう。

  さて、いよいよ「藤原定家」による「小倉百人一首」成立の謎に迫っていこう。まず、歌人「藤原定家」が18歳から74歳までの56年間書き続けた日記である「明月記(めいげつき、国宝)」によれば西暦1235年「定家」73歳という晩年になって、「宇都宮頼綱(出家して蓮生と称す)」から小倉山に有った蓮生の別荘「中院山荘」の襖を飾る為の「小倉色紙」を作成して欲しいとの依頼を受けたとある。そうなのだ!現代の私達が、「小倉百人一首」と呼んでいる和歌集は、元々は「藤原定家」が、小倉山にあった自身の山荘「時雨亭(しぐれてい)」で選定した和歌百首を“かな”を用いて自筆した“百枚の色紙”だったのである。では なぜ老体に鞭打って、このような依頼を受けたのだろうか。名誉の為か或はお金の為なのかと調べてみると、実は、鎌倉幕府の有力な御家人であった「宇都宮頼綱(蓮生上人)」は、「定家」の息子である「藤原為家」の妻の父であることが分かった。そして「藤原定家」と「宇都宮頼綱」は、もともと大親友だったのだ。 (つづく)

文 国影 譲

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