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「モノづくり日本」に誇りを!

  日本が世界に誇れるもの、それは日本の「モノづくり」の精神と文化である。 古来より、日本人は手先が“器用”で、細かい作業もその持ち前の“几帳面さ”で正確にやり遂げ、しかも不良品を極端に嫌う“完全主義”を貫くため、精緻な技術では、世界に比類の無い「モノづくり」国と言われてきた。江戸時代末期の 寛永6年(1853年)に日本にやって来た米国のペリー提督は、その著作「ぺルリ提督日本遠征記」の中で、「実際的及び機械的技術に於いて日本人は非常な巧緻を示してゐる。―中略―日本の手工業者は世界に於ける如何なる手工業者にも 劣らず練達であって、人民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功してゐる工業国民にいつまでも劣ってゐないことだろう。」と述べている。

  また戦国時代における“築城技術”や、種子島に伝来したばかりの“鉄砲”を、数年後には日本の“刀鍛冶”たちが模倣再現したことなどを世界の先進国であった英国、フランス、オランダ等は脅威に感じていたとの記録も残っている。 更に、1867年の「パリ万国博覧会」や1873年に開かれた「ウィーン万国博覧会」では、漆器や陶磁器、浮世絵などの精巧・精緻な美術工芸品ばかりでなく、“日本庭園”の中に反り橋や鳥居、神殿といった木造建築も展示し、「モノづくり」日本の底力を見せて、欧州に“ジャポニズム”旋風を巻き起こしたのだった。

  ただ残念ながら、こうした日本の“技術優位”や「モノづくり」精神も太平洋戦争の敗戦を機に一旦萎んでしまった。それは連合国側が、再び短期間で日本が復活し、世界有数の“技術大国”になることを恐れて行った政策の故でもあり、また、中心となる世代の男性たちが数多く戦争の犠牲になってしまったことにもよる。しかしながら日本人の持ち前の“勤勉さ”は、折からの“高度成長経済”の波に乗り、“模倣が得意!”などという海外からの“悪評判”を軽々と払拭していった。

  昭和54年(1979年)には、アメリカの社会学者「エズラ・ヴォ―ケル」が日本の製造業の優位性にも言及した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著し、超ベストセラーとなった。その後も1980年代の“安定成長期”を経て、1994年には日本のGDP(国内総生産)は全世界のGDPの実に17.8%を占めるに至った。また、そのGDPの内、20%以上が“製造業”の生み出したものであり、正に「モノづくり」日本の面目躍如とも言える一時代を築いたのである。

  そして今、我が国は20年に亘る“デフレ”によって痛めつけられた“日本の製造業”に、再び光を当てる時がやって来たようだ。日本独自の「モノづくり」精神を支える重要な要素は、“技術と自然”の共生である。狭い国土(何と米国の25分の1である)と乏しい“天然資源”を有効に活用するためには、“自然”を克服するのではなく如何に“自然と共存共栄”していくかという“思想”が必要であり、ここに他国が決して真似出来ないハイレベルな“環境技術”が生まれる礎がある。

  更に、“精巧・精緻”な「モノづくり」文化が支える“生命工学”、“宇宙工学”や“ロボット技術”等の他にも、“I o T(Internet of Things モノのインターネット)”を活用した「モノづくり」に、まい進する時なのだろう。

  

文 国影 譲

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