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「Money」よもやま話(4)

 まだまだ地球全体の人口は増え続けており、それに伴って世界経済の規模も拡大を続けている。そしてその経済活動の血液とも言うべき「通貨」もまた、リアルだけでなく、バーチャルも含めて、その供給量が増大し続けているのである。一方では、世界中で“もの(貴金属や土地など)”を「通貨発行」の
“担保(裏付け)”とする「“もの”本位制」が終焉を迎えた。では、現在流通している「通貨」は、いったい何をその“信用・信頼”の証(あかし)としているのだろうか。実は今こそ、「情報本位制時代」の到来を感じるのである。

 私が「通貨価値」の“根源”が「情報」にあると感じた瞬間の話をしてみたい。1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊した。翌年1990年3月、東ドイツでは、ドイツ統一を主張する「ドイツ連合」が選挙に勝利し、“東ドイツ”という国は消え去る運命となった。そんな中、同年5月に私は商品開発の為、西ドイツに入国した。フランクフルトに長期滞在するうちに、通訳から「今、西ベルリンのタクシー運転手に正規料金の3倍出せば、東ベルリン観光をしてくれるらしい。」という情報をもらった。是非にと通訳と共にタクシーで「ブランデンブルグ門」の脇にある税関「ポイント・チャーリー」から東ベルリンに入ったのである。極彩色に彩られた“西ベルリン”とは対照的に、無彩色しか目に入らない“東ベルリン”の街並みや、美術館の陰鬱な“絵画”と“彫刻”は、東ドイツという社会主義独裁国家の“暗さ”を充分に感じさせたが、“事件”はフリードリッヒ駅で起こった。少し街中を散策しようとした時、大勢の人々に取り囲まれたのである。口々に何か叫んでいるのを通訳に聞くと「お土産に、東ドイツマルク札を買わないか!」と言っているらしい。重要なのは、決して“両替”して欲しい!ではなかったことだ。
“ベルリンの壁”が崩壊する直前、西対東のマルクの公定交換率は1対10で、闇の交換率は1対20、そして国家が消え去ろうとしている時、正確な情報が欠如した東ベルリン市民にとってはそれは“紙くず”でしかなかったのだろう。しかし1990年7月1日に、西ドイツは政策的に、東ドイツ国民一人40
00マルクまでは1対1で通貨交換に応じたのである。「情報量」によって「通貨」の価値は“紙くず”
から“等価値”までの幅が出てしまうものなのだと思い知らされた貴重な“実体験”だった。

 現在、世界中を駆け巡っている様々な“経済指標”、例えば元々は“金融市場”に参加している人々が注目してきた「GDP(国内総生産)」や「個人消費」、「民間固定資本投資・設備投資」や「住宅投資」、また「在庫」や「純輸出(経常収支、貿易収支等)」などと、「ダン&ブラッドストリート」や「S&P(スタンダード&プアーズ)」、
「ムーディーズ」や「フィッチレーティングス」が発表する各国の国債や、有力な企業の株・社債の「格付け」、更に各国の「軍事力」や「個人貯蓄高」など、様々な情報こそが、「各国通貨」発行・流通の“担保(裏付け)”となる時代、つまり「情報本位制時代」がやって来たのである。(つづく)

文 国影 譲

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