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京の歳時記、「師走」!

 京都の紅葉の美しさを一目見ようと、大勢の観光客でにぎわった秋も終わり、ようやく地元の人々にとっては、いつもの生活が戻って来る。一年最後の一ヵ月である「師走」は、京都人にとって、とても特別で大切にしている時間なのだ。

 もともと四季の移ろいを様々な行事で体現していく京都人は、「師走」もまた「終い〜〜(しまい何々)」という区切りとして、後世に伝える。例えば有名な「終い弘法(しまいこうぼう)」は、毎年12月21日、弘法大師「空海」の月命日21日に開かれている「東寺」の縁日がパワーアップされ、何と1000軒以上の骨董屋、植木屋、古着屋が軒を連ね、境内に入りきらない露店が、寺の門の外にまで並ぶほどだ。そこに、日本中から数十万人の人々が集うから、それはもう壮観だ。「北野天満宮」では、祭神「菅原道真」の命日25日に“天神市”が開かれているが、ここでも「師走」には「終い天神」が行われ、毎年15万人の人出がある。露店が並ぶ境内は、早朝から夜遅くまで多くの人々で賑わう。正月直前の市とあって、しめ縄や松飾り、新巻き鮭などを買い求める人が目立つ。境内の楼門には、早くも来年の干支の“大絵馬”が掲げられ、迎春用の祝箸(いわいばし)や屠蘇が配られる。やがて夜、本殿では祭典が催され年越しムードが高まる。

 京都の「師走」の風物詩と言って、決して忘れてはならないのが「京都南座」の「顔見世大歌舞伎(かおみせおおかぶき」通称“まねき”だろう。現在は東京の「歌舞伎座」でも、名古屋の「御園座」でも、年末(10~12月)には「顔見世」を行うが、なかでも「京都南座」の「吉例顔見世大歌舞伎」は最も歴史が古い。江戸時代には役者の雇用形態は一年ごとであり、11月から翌年10月までだった。そこで、新たに1年間出演する役者たちを決め、「師走」に大々的にお披露目をするようになった。「京都南座」の正面には、“勘亭流”という独特の書体で書かれた役者名の“まねき看板”が揚がる。初日から五日目ぐらいまでには、花街の舞妓や芸妓達が芸事の勉強も兼ねて、揃って「顔見世」を見物する「花街総見(かがいそうけん)」も行われ、通な客はこの日をねらって「顔見世」に繰り出す。

終い天神 今から1060年ほど前に、京都で最悪の疫病が蔓延した事があった。この時、「村上天皇」は「醍醐天皇」の第2皇子で出家していた「空也上人」に悪疫退散の勅命を下され、「空也上人」は早速、感染源だと思われた井戸を埋め、新たな井戸を掘り直し、土葬されたご遺体を火葬したり、弱り切った民衆に梅干しと結び昆布を入れたお茶をふるまったりして勇気付けた。自ら彫り上げた「十一面観音像」(現在秘仏であり十二年に一度、辰の年に御開帳される)を市中に繰り出し病気平癒の念仏を唱えたところ、間もなく悪疫も収まったという。そんな「空也上人」の寺で有名な「六波羅蜜寺」では、12月13日から大晦日まで、国の“重要無形文化財”に指定された「空也踊躍(ゆやく)念仏」が行われる。鎌倉時代から時の為政者によって厳しく弾圧され、以後800年間も秘儀とされてきた念仏踊りは、「南無阿弥陀仏」ではなく、その隠語「モーダーナンマイ
トー」という念仏と共に、新たな時代でもなお我々を勇気付け、悪疫退散を祈り続けるのだ。

文 国影 譲
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